努力が必要な時期ってありますよね。
でもどうしても頑張れない…
なんでこんなに頑張らないといけないんだろうと思うことも…
どうしたら前向きに頑張ることができるんでしょうか。
今回は前回に引き続き元てれび戦士で役者の渡邉聖斗さんにお話を伺いました。
聖斗さんはアメリカの大学で4年間、演劇の勉強をしてきました。
大変な環境でも努力を続けられる秘訣…それは自然界に隠されていました。
渡邉 聖斗(わたなべ まさと)
役者。YouTuber。小学3年生の頃に芸能界デビュー。映画やCMのみならず、「天才てれびくんMAX」など教育番組にも出演経験がある。 演劇を学ぶために所属していた事務所を辞め、海外の大学に進学。4年間アメリカのカリフォルニア大学で演劇を学び、現在はフリーで役者をしながらYouTubeで文学史や英語に関しての発信をしている。Twitterはこちら。
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底辺だからこそ誰よりもその場をコントロールできる。
今回は努力家な聖斗さんに、どうしたら大変な環境でも逃げずに頑張り続けられるのかをお聞きしたいです。
たしかに大変なこととか辛い環境ってあるけど、ほとんどのことって努力値で補えると思ってるんです。
アメリカの大学にいたときの話ですけど、1学期が終わると2ヶ月ぐらい休みがあるんですよね。
その休みの期間に次の学期で履修する授業のシラバスをもらって先に課題などを進めていったんです。 1学期大体16週間くらいあるんですけど、3週目には最後の授業の論文が終わってました。
す、すごいですね。
夏休み最終日まで宿題を残していた私からしたら考えられない…
もちろん日本の大学に行ってたとしたら僕もそんなことしないですよ?笑
でも英語がわからないからこそ、授業や課題がどれだけ大変なのか大袈裟に見積もることができるんです。
だから早めに行動しようという習慣をつけられたんですよね。
他の学生はこんなに苦労してないのになんで自分はこんなにやらないといけないんだ!とかならなかったんですか?
留学してると、「右も左も分からない、英語もわからない」っていうのがあたかもネガティブなハンディキャップのように思えるかもしれないんですけど、実際は「時間がすごいできる」というメリットもあるんですよ。
時間ができるんですか?
はい。 日本にいる時みたいに遊ぶ友達がたくさんいるわけでもないですし。
勉強できる時間がたくさんあるんです。
できた時間を無駄にしないんですね。
アメリカで演劇をしてるときも日本人であることをハンディキャップだとは思わなかったんです。 「日本人だから英語のセリフが完璧じゃなくても許してよ」っていうつもりでいると確かにハンディキャップかもしれないですが、僕は違うスタンスでいました。
どんなスタンスですか?
「僕が日本人だからって適当に来たら許さないぞ」っていうスタンスです。
僕がこのスタンスを取ると、「この日本人ですら全てのセリフを覚えているのに私が覚えられなかった理由があるわけがない」ってネイティブの学生に思わせることができるんですよ。
逆にプレッシャーを与える存在になるっていうことですね。
そうです。
大学の教授は日本でも海外でもどこでも優秀だと思うんです。
大学の大事なところって特に演劇の場合、実践的な練習の質がどれだけ高いかってところだと僕は思うんですけど、その質を高める鍵を握ってるのって僕みたいな留学生なんですよ。
逆転の発想すぎて…!!
だって僕は彼らにとっては底辺にいる存在じゃないですか。
その底辺のレベルを上げて、この人がこのレベルで来るんだからこの授業はそれ以上のレベルでやらないと問題だという状態を作れるわけです。
自分が受ける教育のレベルを自分が変えられる、ギアになれるんですよね。
自分の努力によって、教育のレベルまで変えることができる…
たしかにそう考えると全然ハンディキャップじゃないですね。
ポジティブに捉えるってむしろ良くない時もある
努力すればなんでも補えるということですが、辛いなって時に逃げ出したくなる時はないんですか?
なぜそんなにポジティブに頑張れるんですか?
もちろん辛いと思うときもありますよ。
それに、ポジティブではないと思います。
あれ…ポジティブじゃないの?
辛いときはどうしてるんですか?
そうですね… まずネガティブなことを無理にポジティブに捉える必要はないと思うんです。
…!
例えば、英語ができないってなった時に「自分たちは環境が違ったせいで英語ができないんだ。アメリカの人たちが英語を話せるのはかしこいからじゃないのに、どうして英語ができないってだけで頭が悪いみたいに思われないといけないんだ。ネイティブの人は努力しなくても英語ができてアンフェアだ!」と感じる人が多いと思うんですよね。 そう感じてしまうのはよくわかります。
でも、これが分かれ道なんですよ。
分かれ道?
「自分はばかじゃない。怠け者なわけでもない。」
でもこれで努力しなかったら辛い状況は変わらないですよね。
僕は英語ができないということが、この国(アメリカ)においては頭が悪いことだと割り切ったんです。
英語ができなければ僕の思想や考えは伝わらなくて、僕の意見は通らない…
それが嫌だから頑張って勉強したんです。
「英語が話せない。それでは自分の主張が通らない。」という事実を受け入れてそれを解決するために努力したということですね。
そうです。
英語が話せないことってどうポジティブに捉えようと思ったって変わらない事実ですから。
それを変にポジティブに捉えるのはむしろ良くないと思います。
「英語ができないのは自分が怠け者だからじゃない。環境のせいだ。」って思うのはある種のポジティブですよね。
それはなんの解決にもならないと思います。
なんでもポジティブに捉えなきゃと思ってた自分は浅はかでした…
もし宇宙人が来て核心をつくようなことを言われたら、聞き入れますよ
もう一つ僕がどんな環境でも努力できる理由は、「目的主義」だからだと思います。
目的を大事にしているということですか?
はい。
ドア理論っていうのがあるんですけど…
開かないドアから出たいという目的があって、その目的は変わらない。
でも引いてもダメだし押してもダメ。じゃあ上げてみる、下げてみる、壊してみる…
これって行動は変わるけど、ドアから出たいという目的は変わらないですよね?
変わらないですね。
これが大事なんですよ。
目的主義で生きていると、周りにどう思われようが関係ないんですよね。
どんなに心ない言葉を言われても耐えられるんです。
強い…
だってその心ない言葉をかけてくる人が、自分の夢をやめる理由になられたら困るじゃないですか。 その人とは二度と関わらないと誓って別の方法で学習するとかならいいと思うんですけど、それで本来の目的を果たすことまで諦めてしまうのはよくないと思います。
なるほど…
では誰に何を言われようと自分の信じた道を進むという感じですか?
いや、でも全て聞き入れないわけではないんですよ。
違った…
理由があってけなされるのであれば、どれだけひどい言い方をされてもちゃんと聞くようにしています。
それは誰に言われたとしてもです。
誰に言われるかではなく、根拠があるかどうか…
そこが大事ということでしょうか?
そうです。
例えば、演劇の現場で、ある監督には「いいね」と言われたことを別の現場で別の監督には「ダメだ」と言われることってよくあるんですよ。
そうなったら誰を信じたらいいの?って混乱しますよね。
その場合、僕は「演劇」を信じるんです。
演劇においてその意見に根拠があるかどうかということですね。
はい。
英語も同じで。
ある人は「英語が上手だね」と言ってくれるけど、ある人は「君の英語は下手だ」と言ってくる。
そういうときも、英語でコミュニケーションが取れて自分のやりたい仕事ができているかどうかという基準を信じるんです。
それは他人の指標でもないし、自分の指標でもないんです。
なるほど…
だから極端な話、ある日宇宙人がやってきて僕に核心をつくようなことを言ってきたらちゃんと聞きますよ(笑)
それぐらい誰に言われるかは重要じゃないんですね(笑)
はい(笑)
その指摘が自分の目的に対して本質をついてるかどうかなんです。
大事なのは「目的」に忠実かどうか
ちなみにどのようにして「目的主義」の考え方にたどり着いたんですか?
う〜ん…
僕、ウミウシが好きなんですよ。
突然の「ウミウシ」…思わず聞き返してしまいました。
ウミウシ…?
ウミウシって広い海の中で、個体数が少ないのに出会って産卵するんです。
彼らには目的しかない…
他の意見がどうとか関係なく、生まれたままのデータを頼りに相手を見つけて遺伝子を残すんですよね。
そういう自然界を見ると目的に忠実なことに気付かされるんですよ。
「ウミウシ」から目的主義を学ばれたんですね。
迷ったら自然界をみよう。
どんな環境だとしても、周りにどんな目で見られたとしても、「目的」に忠実に生きること。
それが聖斗さんにとって困難を乗り越え、努力し続けられる秘訣でした。
「もう頑張れない」と立ち止まってしまいそうなとき、本来の自分の目的・夢を思い出してみることで再び頑張れるかもしれません。
そしてウミウシのように、目的に忠実に生きてみるのはいかがでしょうか?