「ルールに縛られたくない」
「もっと自由に生きたい」
日本では、学校生活・社会生活において”ルール”が重要視されてきました。
でもルールに縛られてばかりで窮屈だと感じることはありませんか?
今回は日本を飛び出して世界で自由に働くことを実現した古性のちさんにインタビューしました。
自由に働くために必要なのは自分自身の価値を高めること。
どのようにして理想の生活にたどり着いたのかその軌跡に迫りました。
写真家。コラムニスト。 Twitterフォロワー数10万人。 これまで世界17カ国をまわるなど旅と仕事を両立させてきた。 現在はBRIGHTLOGG,INC取締役を務めている。 Twitterはこちら。
目次
幼稚園の頃から苦手だった集団生活
もともと美容師をされていたと聞きました。
美容師を目指したきっかけはなんだったんですか?
「美容師ならハサミ一本で世界中で働けるよ!」って高校時代の友達に勧められて、単純にそのまま美容師になりました。
素直すぎます。笑
学生時代から世界で働きたいと思っていたんですね!
どうして世界中で働きたいと…?
日本を好きになれなかったからです。
まず、学校が嫌いだったんですよ。
幼稚園の頃からダメで…
幼稚園の頃から?!
幼稚園とか学校って登校時間が決まってるじゃないですか。
そこに理由がないのが納得できなかったんですよね。
「なんで8時に行かないといけないの??」みたいな(笑)
ずいぶん小さい頃から違和感を覚えていたんですね。
そうなんですよ。 その違和感が高校生とかになってもずっと続いて。
これって学校卒業して社会人になっても結局同じレールの上にいるなと感じたんですよね。
普通に企業に勤めてたら出社時間が決まってますもんね。
はい。 でもそれって日本のルールで世界のルールはわからないから、もっと自分の肌に合う国があるんじゃないかと思ったんですよ。
それから世界で働くにはどうしたらいいんだろうっていうのを考えるようになりました。
それで美容師を目指したんですか?
そうです。
世界で働くには手に職があった方がいいと思ったので。
その後2年ほどで美容師を辞めることに
わたしのモチベーションって「ハサミというツールを使って世界のどこかで働きたい」だったんですよね。
だから「ハサミを使ってお客さんを綺麗にしたい」というモチベーションでもないし、美容師という職業に憧れもないんですよ。
その状態で下積み5年積まないといけない… その時は19歳の小娘でまあ、無理でしたね(笑)
美容師を目指す人が本来持ち合わせているような「お客さんを喜ばせたい」っていうモチベーションが二の次なんですもんね。
そうですね。
もっと自分の好きなことでやらないと続かないなと思って美容師は辞めちゃいました。
10年越しの夢を叶えるべく磨いた2つの武器
ハサミの代わりになるものを探したときに、パソコンだなと思ったんです。
パソコンは昔から好きで、パソコンを使って仕事をしようと思いました。
それでWebデザイナーになられたんですね!
パソコンを使った仕事って色々あると思うんですけどなぜWebデザイナーだったんですか?
思いついたのがデザイナーしかなかったんですよ(笑)
それで世界で働いてるデザイナーさんって誰だろうと思ってGoogleで検索したんです。
「世界 デザイナー 仕事」みたいな雑な検索を…
本当にざっくり(笑)
そしたらバンクーバーで働いてる日本人のWebデザイナーさんのブログが出てきて、 「バンクーバーへの留学など興味がある人は気軽に連絡ください」って連絡先が載ってたんです。
そこに「WEBデザイナーになりたいんですけどどうしたらなれますか?」ってメールしました(笑)
度胸がすごいw
今思うとめちゃくちゃ失礼なメールだったんですけど、すごく優しい方でわざわざSkypeで繋いでくれたんです。
そこでいろいろ話を聞いてくれて、「とにかく海外で働きたい」という話をしたら「話はわかったけど、そもそもWEBデザインを母国語で学ばないと英語できない状態でこっちにきても仕事ないよ」と言われて…
まあ、至極当たり前のことなんですけどね(笑)
まずは日本でWebデザインを学ぶべきだと…
そうです。
それでその人が通っていたデザインの学校を紹介してくれてそこに1年くらい通ってWebデザイナーになりました。
3年ぐらいはずっと日本でWebデザイナーをしていました。
『古性のちのプロフィール写真と紹介文まとめ』より
先ほど美容師として下積み5年は長くて…みたいな話がありましたが、この時は下積み長いなとか感じなかったんですか?
もちろんその時もすぐにでも海外で働きたい!っていう気持ちはありました。
でも美容師の時は19歳で、Webデザイナーをしてるときはもう25歳とかで…
さすがに今のまま行っても仕方ないことはわかっていました。
やっぱり”名指し”で仕事がくるような何かを持っていない限り世界で働くのは無理だと…
確かにそうですよね。
今はライターとしても活動されていると思うんですが、ライターはどういう経緯で始められたんですか?
海外に出る前に働いていた会社がWeb制作とWEBメディアの両方をやっている会社で。
当初は会社の収益の8割が制作、2割がメディアぐらいの割合だったんですが、ある時期にそれが逆転したんですよ。制作4割、メディアが6割ぐらいになって…
それを社員としてみていて「Webメディアの時代が来るなと」思ったんです。
それでデザイナー職からライターに社内転職をさせてもらってそこからライティングを始めました。
自分で世の中の流れを察知して新しい武器を…!
それでライターとしてもWEBデザイナーとしても力をつけていったんですね。
半年ぐらい死ぬほど記事を書きました。
その頃からデザイナーとしてもライターとしても”名指し”でお仕事が来るようになったんです。
これなら試しに世界に出てもいいかなと思いました。
10代の頃から描いていた手に職を持って世界に出るという夢がついに実現したわけですね!
しかも2つも武器がある状態で…!
そうですね。
心配性だったので1つの武器だけだと不安で… 盾と剣、両方持っていきたかったんです。
世界一周は自分にとって練習にすぎない
ついに日本を出ることができたわけですけど、どんな国に行ったんですか?
もうとにかく世界中で働きたいという思いが溜まっていった結果、初めての海外でしたが一気に17カ国廻ったんですよ(笑)
初めてなのに17カ国?! どういうルートですか?
東南アジアから中東に行ってそこからヨーロッパまで…
すごいですね。
一周できちゃう勢い…
本当は一周するつもりだったんですけど、流石にお金が続かなかったので17カ国廻った後は一度日本に戻ってきました。
その後も何度かいろんな国に行って、一年の半分以上を海外で過ごしましたね!
理想の生活…
のちさんへの強い憧れを抱くふかやん
でも世界を廻っている間に出会った人たちにはよく「もったいない」と言われてました。
もったいない…? なぜですか?
旅をしている間、わたしはずっと仕事をしていました。
納期に追われることもありましたし…
それでせっかく旅に出ているのに仕事なんてもったいないよと言われるようになったんです。
なるほど… ご自身でももったいないと感じましたか?
いや、わたしとその人たちって世界一周に対する考え方がそもそも違うんですよね。
お金をかけて世界一周するって「一生に一度の思い出作り」って捉える人が多いと思うんですけど… わたしにとっての世界一周はただの練習なんです。
『古性のちのプロフィール写真と紹介文まとめ』より
練習…ですか?
わたしはこの先何度でも世界を廻れると思ってるんです。
旅をしながら仕事をする…そういうライフスタイルを確立しにきているだけだから、一生の思い出じゃなくて練習だったんです。
旅を楽しむことだけじゃなくて、旅と仕事を両立させることが目的なんですもんね。
そうですね。
だから「もったいない」とは思わなかったです。
日本に帰ってきてからも旅関係の仕事が増えましたし、自分が夢見ていた生活の実現ができたので結果としてもあの時頑張って良かったと思います。
旅と仕事の両立を実現したのちさん 幼少期から抱えていた日本社会に対する違和感をそのままにするのではなく、 自分がもっと生きやすい環境に行こうという決心とそのために磨いたスキルがあってこそ実現した生活なんだと思いました。
合わない環境から逃げたいと思うだけではだめで、 新しい環境に行くための自分なりの武器を探して磨いていくことも必要なんだと感じました。
筆者もまずは武器を探すところから始めてみようと思います!